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【特集】はくしま散歩 第一回:碇神社と碇太鼓

海上交通の安全を祈願する
神社として誕生

現在の白島地区にその面影はありませんが、昔の白島は「箱島」という小さな島であったと伝えられています。16世紀末の広島城築城以前の白島周辺は海辺で、大きな岩盤があったために船の遭難が後を絶たなかったといいます。そこで、もともと箱島大明神としてすでに祭られていた神社を、海神の怒りを鎮めるための氏神様として、毛利元就の孫・毛利輝元が碇神社と改名し保護したのです。神社の前は行き来した船が、神社の近くに碇を下ろしたことに由来しています。碇神社は広島の城下町(旧市街地)で最も古い氏神様で、前身の箱島大明神は1200年も前に、楽音寺(三原市)の神名帳にその名が記されていたほどの由緒ある神社でした。「大綿津見神(おおわたつのかみ)」と呼ばれる海上交通の安全や産業の繁栄を司る神様が御祭神です。宮島の厳島神社とは、偶然にも社紋が同じという不思議な縁もあります。

江戸時代の白島は広島城の城下町として多くの武士が暮らし、大変賑わっていました。碇神社もまた、多くの氏子を抱えて大いに栄えたといいます。毛利輝元が10年という長い年月をかけて行った広島城築城の際には、竹や杉の丸太で組んだ足場を作るために大量の縄が使われました。その縄は城の竣工とともに不要になり、町人たちはその縄で綱引きを行ったと伝えられています。そしてこの綱引きは、秋大祭の大綱引きとして碇神社の年中行事となり、今も受け継がれています。

広島東照宮春季大祭の様子

出雲大社での奉納の様子

存続の危機を乗り越え、受け継がれる碇太鼓

碇神社に伝わるものとして、もう一つ。それは、「碇太鼓」です。地域の活性化を願う熱心な町内有志の人々の手により昭和50(1975)年に発足。「碇太鼓囃子」や「清流太鼓」などの名曲が生まれ、今日の太鼓囃子ブームの先駆けとなりました。その後、子どもたちも交えての活動となり、「広島東照宮春季大祭」や「白島夏祭り」などで演奏を披露しています。

また島根県の出雲大社にも毎年演奏を奉納し、十年・二十年奉納の表彰を受け、記念銀杯を受賞するなど息の長い活動が続いています。しかし、後継者がおらず、大人の演奏活動は10年前に休止、そして3年前には、子どもの奏者も3人にまで減少し、碇太鼓の継続が危ぶまれる事態となりました。「ここで碇太鼓の灯を消すわけにいかない。大人たちが子どもたちを元気づけて、地域の元気を取り戻そう――」。2015年春開業予定の白島新駅のオープニングセレモニーでの演奏を目標に掲げ、碇神社に「白島碇太鼓保存会」が結成されました。そして元演奏者だった人々の復帰によって、碇太鼓存続の体制を立て直すことができました。これからも碇太鼓の響きを多くの人々に届けるために、大人と子どもが力を合わせて、碇神社の境内にある集会所で練習に励んでいます。

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